本書の原著者であるDr.Reinhold Ebertin
「The combination of stella influences日本語版」あとがき 01“The combination of stella influences Japanese version” Afterword 01
「The combination of stella influences」とEbertin、そして門馬寛明
解説 酒井日香


Reinhold氏の息子Dr. Baldur R. Ebertin 写真はいずれも 故・Baldur R Ebetin氏のホームページより引用。

日本にコスモバイオロジーを根付かせようとした門馬寛明(1966年 光文社カッパブックス刊「西洋占星術」ブックカバーより引用)
さて、言いたいことは山のようにある。ありすぎる。とても簡潔に書くことはできないが、記憶は2006年か、2007年に遡る。日本ではしばしば、ちょっとしたショッピングセンターの空きスペースを利用してカルチャースクールを運営していたりするが、当時占星術家としてキャリアを始め数年経っていた私は、あるショッピングセンター上階のカルチャーセンターで、講師のアルバイトをすることになった。
そのカルチャーセンターは系列店舗が全国にいくつかあるため、他の拠点で行われている講座がどのようなものなのかとチラシやパンフレットを見ていたら、心臓が止まりそうになった。なんと我が師・門馬寛明が、同じ系列カルチャーセンターで講師をしていたからだ。
しかもレッスン内容は、「Dr Ebertin のコスモバイオロジーによる西洋占星術講座」。わたしはその瞬間、胸が詰まりそうになった。正直、かけだしの、わたしのような占星術家が、こんな場所で講座をぶつのはわかるのだが、門馬寛明クラスがやるようなカルチャーセンターではない。恩師の斜陽を見た気がして、胸が切なくなった。
門馬寛明は、わたしの肌感覚によれば、晩年は古典占星術をほとんど捨て去っていたように感じる。レッスンするのはもっぱらコスモバイオロジーだった。古典のように、通常のホロスコープを読むときも、コスモバイオロジーのテクニックをふんだんに取り入れていた。だからわたしは最初、門馬に入門して3年か4年くらいは、コスモバイオロジーがいわゆる占星術だと思うほどだったのである。
のちに「ホラリー」という古典占星術があると知るのだが、あまりのアプローチの違いに「なんじゃこりゃ」。正直、古典占星術が頭に入ってこなかった。コスモバイオロジーを土台とした門馬の分析方法が、あまりにクールで、イカしていて、しびれたからだ。
門馬寛明の元をわたしが去ったのは、2005年の2月頃である。第一子の出産をその2か月後に控えていたので、大事をとって、門馬寛明師主宰の「明暗塾」をやめたのだ。
いや、正確に言えば、出産を口実にやめた。やめることができた、というか……。
門馬のことは敬愛していた。今でも実の父より泣けてしまうほど愛している。大好きな「お父さん」だった。でも、「占星術」がわからなかった。門馬の手ほどきが素晴らしければ素晴らしいほど、占い師として活動すればするほど、心身は疲弊し、混乱し、もう何が正解なのかわからなくなってわたしは、占星術そのものから降りたくなってしまったのだ。24歳で入門し、33歳で離れた。だから正味、8年間である。
その後無事に娘の出産を終え、慣れない子育てに苦闘していると、なんと門馬のほうから連絡が来た。驚いた。門馬の教室の補助をしていた女性から「赤ちゃんを見せてよ、先生が見たがっている」とのこと。急にどうして? もう占星術からわたしは、降りるのに。もう占星術なんかやらないし、先生にも会わないと決めたのに。
でも、ホームレスで天涯孤独のわたしが、無事に結婚相手を決めて、立ち直るまでのすべてを見守ってくれた「おとうさん」——。この人に励まされなかったら、わたしは死んでいた。心からそう思える大恩人である。占星術など愛していなくても、門馬を慕う気持ちが変わることはない。
そして夫につきそってもらい、娘は生後6か月の頃に、無事に日本占星術界の巨人、門馬寛明の腕に抱かれることとなった。門馬は目を細め、できの悪い娘の出産を喜ぶ父親のような表情で、6か月児をあやしていた。先生にとってひ孫か、玄孫のようである我が娘を抱くその右手は、包帯だらけだった。お産でしばらく見ない間に、ずいぶん門馬は小さくなって見えた。
80歳をとうに超えていた先生。赤ん坊ではあるが、6か月児はまぁまぁ重い。私は先生が娘ごとコケぬよう、夫と一緒に、先生によりそってその手を支えた。包帯だらけの右手。怒ったところを1度も見たことがない優しい笑顔。小柄な体格。ああ、思いだすと、何もかも泣けてしまう。この包帯だらけの右手で、枯れ木のような腕で、わたしたちに欧米の占星術の神髄を伝えようと、膨大な翻訳をされてきた。この右手のおかけで、わたしは本書「 The combination of stella influences 」と出会うことができたのだ——。いいや、それだけではない。テトラビブロス、ホラリーの名著、医学的占星術について。さまざまな、日本で普通に暮らしていたのではまず読むことのできなかった貴重な洋書の数々を、門馬寛明のこの、右手によって——。ペンを握りすぎてペンだこだらけのこの、娘を抱いてくれた枯れ木のような力強い右手によって——。読むことができたのだ。
思えば写真をとっておけばよかった。わたしにはなぜか、門馬寛明との写真が1枚もない。一緒に飲んだし、皆で旅行もしたし、あんなに語り合ったのに、1枚もない。
そして娘の出産後、けっきょくわたしは門馬寛明の元へは戻らなかった。門馬の勧めで占星術家としてデビューしたものの、出版社の内情や、占い館の実体を知ると、あまりのひどさに精神状態が悪化した。当時日本の占星術界は、まるで「東西冷戦」のようだった。こちらはさしずめ共産側だろうか。占星術の世俗化、広告ツール化の流れの中で、Ebertinのコスモバイオロジーを随所に取り入れた門馬の占星術は、もう受け入れてもらえない。世は「傷つけない占星術」「病気だとか失望だとか言ってはいけない占星術」がマストである。星の影響を信じてこんなものを学んでも——。世間の人は、「根拠などなくていいから気持ちよくさせてくれ」だ。
