sample stationery

「The combination of stella influences日本語版」あとがき 02“The combination of stella influences Japanese version” Afterword 02

 24歳で門馬に弟子入りし、28歳でキャリアを始めて、33歳で出産したので、5年間くらい占星術ライターや、占いダイヤル、占い館で働いた。そこでの葛藤を経て、妊娠から出産の間に、考えて考えて、ついにわたしは占星術家になりたくない、と思うようになった。やっぱり占星術なんてやりたくない。子どもの頃から夢見ていたのは「小説家」である。出産を機に、夢に挑戦しようと考えた。先生、ごめんなさい、わたしには占星術は無理です——。

 先生に抱かれる娘を見ながら、わたしの胸の内はそう決まっていた。

 だから、なんとも悲しいけれど、これが門馬寛明と最後に会った場面である。あのとき、わたしの娘を見たいと連絡してきたのは、彼の中にもしかして「酒井さん頼むよ」「僕の占星術を頼むよ」と、そんな思いもあったのかも知れない。

 さて、門馬に娘を無事に抱いてもらってから、何シーズンか経った頃。先ほども話した通り、急に地元のカルチャーセンターの講師を頼まれた。どうしても埋まらないコマがあって、困っている。場つなぎだけど、3~4コマ、占星術講座をしてくれないかという、そういう依頼だった。駆け出しのころ、鑑定活動の場所が欲しくて、あちこちに名刺を配っていたから、そのご縁のようである。

 娘は1歳数か月になっていた。半日くらいなら、パパとお留守番ができる。少し気晴らしも欲しかった。場つなぎでも、生徒さんに占星術を教えれば、娘のおむつ代の足しにはなるだろう……。そう思い、契約に行ったそのときに、同じ系列で門馬寛明が、コスモバイオロジーを銘打った講座をやっていたのであった。わたしは門馬が哀れで泣きたくなった。

 正直、このあいだ娘を抱いてもらいに門馬のオフィスに行ったとき、違和感は感じていたのだ。

 なんというか……。人がいない。生徒がいない……。正直、門馬はこんなところで講座をぶつようなクラスの占星術家ではない。それなのに……。彼はまだあきらめていないのか。「コスモバイオロジー」を日本に根付かせることを……。

 先生、無理ですよ先生……。もうコスモバイオロジーなんて、誰もわからんのです。世の中は空前の「星詠みブーム」。星座にこじつけてあることないこと、詩吟みたいに歌って詠んで、自分で好き勝手に解釈する。それがこの日本の西洋占星術なのです。あなたは負けたのだ。その弟子であるわたしも負けたのだ。もう世間は誰も「コスモバイオロジー」など理解できないのです。彼らは「厳密に診断する占星術」など求めていない。星座詩吟がしたいだけなのです先生……。

 わたしが今からここで行う占星術講座も「初心者入門講座」という名の、こじつけ星詠み講座です。茶番です。わかっています。でも理解できないのだ世間の人々は……。情けないことですが、本当にそう。だからわたしは、もう先生の側にいることができませんでした。もう誰も理解してくれない。なぜこんなダイヤモンドの価値がわからず、世間の人々は「象徴主義占星術」にはしるのでしょう……。誰一人耳を傾けてくれぬのなら、こんなもの知らせないでほしかった……。恨みます先生。恨みますよええ、とっても……。Ebertinさん、あんたのことも恨むよ。なぜこんなものを書いた? あんたの占星術さえ知らなければ、わたしは、占星術とは「星座こじつけアートだ」と思ったまま、幸福に生きられたのに。

 カルチャースクールのロビーで、契約書にサインをするのを待つ間、胸が苦しい。どうして? どうして門馬寛明先生は、こんなにも絶望的状況の中、まだコスモバイオロジーを教えようとしているの? バカじゃないのこの人。 もうあんたの占星術なんてね、誰もわかんないんですよ。 女性雑誌の人気ライターのものこそが世間にとっての「占星術」なんです。わたしだってそっちに魂を売ってラクになりたかった。 でもダメです。だってコスモバイオロジーは、こんなにも素晴らしい……。だからわたしは、占星術そのものを捨てるのだ。作家になる。作家として生きる。もう占星術など誰がやるもんか。

 ……ということで、よほど門馬とわたしは因縁があるみたいだ。もう去ろうと決めたのに、またここで名前を見るなんて……。

 門馬寛明最後の講座だったかも知れない、偶然知った講座のタイトルは「コスモバイオロジー」。どんだけEbertin好きやねん門馬さん。呆れるわほんと……。呆れますよお父さん……。お父さん……。悔しい……、悔しい……。あなたが、あんな心無い商業占星術に埋もれてしまうだなんて……。もう……。何なのこの、コスモバイオロジーに対する執念は……。

 まるでジャンプ漫画だ。もう誰も見向きもしないのに、まだ生き生きと、やろうとしている。伝えようとしている。わたしが作家に転向しても、けっきょくまた占星術に引き戻されたのは、この門馬寛明の生き様のせいだ。

 門馬が2008年に旅立ったと知ったのは、実はインターネットです。2016年か、2017年の頃でした。あの最後の、カルチャーセンターで門馬の名を見かけて、娘を抱いてくれたあのときから、わずか2年ほどで旅立ってしまっていたのです。

 なぜ門馬寛明の死を、最後の別れから12年後に、ネットで知ったのかというと、門馬はそもそも昔から「僕は占星術によると103歳か、106歳まで生きる」と言っていたので、バカ娘はそれをそのままかたく信じていて、あのお爺ちゃんは死なないと思っていた、というのが一つ。

 そしてもう一つは、明暗塾に行かなくなって数年後の2009年から「占い死ね死ねブログ」を描き、占星術師を暴力団員として描いた「VICE孤独な予言者」なんていう、占星術大河小説を出版したりして占い批判界隈でちょっと名が知られていたわたしを、もう先生はお許しになりはすまい、と思っていたから、極力「門馬寛明」を避けていたから。

 今なら「コスモバイオロジスト」として、やりたい放題無法地帯の「商業占星術を批判する」というスタンスを取ることができるのだが、当時はEbertinについても私自身にほとんど知識がなく、「コスモバイオロジー」と「一般的な、みんなが広く思っている占星術」がまったくの「別物だ」とは、きちんと線引きできていなかった。「コスモバイオロジー」は意識科学として大いに可能性がある。しかし「一般人が思う星座詩吟型占星術(象徴主義占星術)」と、「コスモバイオロジー」とが、ネットでもブログでもどこでも、同じ「占星術」として語られてしまうため、この怒りをどう処理してよいか、当時はわたし自身がわからなかったのだ。

 これが2006年か、2007年明けてすぐくらいの思い出だ。小説家に転向したわたしは、ブログで「占星術批判」をするようになった。でもそれは「商業主義占星術」への批判であり、心の中にはつねに門馬の教えとコスモバイオロジーがあった。小説を描く机の側にはいつもこの、門馬が手書きで訳したガリ版刷り、わら半紙でできた「 The combination of stella influences 」があったのだ。コスモバイオロジー研究をその間、まったく止めていたわけではない。占いの症例集めこそ少なかったが、わたしは2005年に門馬の元を去ってから、「超次元占星術®」を世間に発表し始める2017年までの12年間、むしろ、コスモバイオロジーの背景に見え隠れする数論、ホメオパシー医療やシュタイナーとの関係、物理学的な裏付けを求めて膨大な資料を読んでいたのである。

 コンピューターやインターネットの発達で、洋書を翻訳するということが、門馬の時代よりかは、ハードルが低くなった。Ebertinの本も、Amazonで今、探そうと思えば探せる。わたしが本書を翻訳しなくても、いずれ誰かがやるはずだ。本書は、それほどの名著なのだから。

 でもそんな中、門馬があそこまで執念でこだわったこの「 The combination of stella influences 」を訳し、神髄を教える仕事は、門馬を父のように慕っていたわたしの仕事なのではないか、と、長い年月をかけて今、ようやっと、思えるようにもなってきた。

 そしてもう一つは、この、Ebertinの「 The combination of stella influences 」やその類書から派生した、わたしが原作の 「超次元占星術®」との兼ね合いである。そんなわけで、日本でもっともこの本を訳すのにふさわしい人物は、誰あろう、このわたしなのではあるまいかと——。

あとがき 03

← あとがき 01