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「The combination of stella influences日本語版」あとがき 03“The combination of stella influences Japanese version” Afterword 03

酒井日香原作「超次元占星術R」と本書「 The combination of stella influences 」コスモバイオロジーの関係

 酒井日香原作「超次元占星術®」は、もちろんコスモバイオロジーを絶対の土台にしている。超次元占星術を発案したのは2000年頃であり、明暗塾に入門して4年目くらいのことだった。門馬からコスモバイオロジーの手ほどきをうけながら、当時、女性雑誌のライターとして常に占い企画のネタを探していたわたしは、本書英語版317ページに掲載されている、Ebertin父子が開発した「45°グラフィックエフェメリス」を、しょうもない女性雑誌の占い特集企画にできないものかと考え付いた。

 Reinholdは、ハードアスペクトだけを拾おうとしてこの「45°グラフィックエフェメリス」を、息子のBaldurと作った。

 それは1941年、Reinholdが、ナチス政権下のドイツ・エアフルトで思想取り締まりの流れを受け、ゲシュタポに逮捕されたときのことである。オフィスから大量の本を押収され、拘置所に収監された。検閲が済んでからいくつかの本と占星術のこよみがReinholdにもどされた。いつ釈放されるとも知れぬ監禁生活の中、占星術暦を眺めていると、おや? とReinhold は気が付いた。まもなく、自分の木星に天王星が、正確に「衝」になると——。このときわが身に何が起こるのか? しっかり観察しよう、見届けよう、と——。

 当時はまだコンピューターが普及していない時代なので、占星暦(エフェメリス)というと、掛け算を足し算に直すための「対数表」を使い、修正計算を自分でしなければいけない時代であった。おそらくReinholdは、拘留の間に必死にエフェメリスを計算し、星と語り合ったに違いない。日本にはあまり伝えられていないReinholdの人生であるが、ドイツのインターネットから調べていくと、Reinholdはナチス政権前、政権中、政権後において、しばしばイデオロギーや権力者に自らすりよったり、のちに反発したりした時期があるようだ。占星術ジャーナルを発行する出版社を30代で興し、最初は政権にゴマをすっていたらしい。だが、のちに自らの態度に苦しんだようである。その反骨精神が、本書「 The combination of stella influences 」からもうかがい知ることができる。

 そして知った。木星と天王星の衝——。それは「解放」であると。

 多くの占星術学徒が悩み、かつ、わたし自身も困惑したところであるが、現在わが国で「占星術入門」として出版されている書籍のほとんどは、いわゆる「古典占星術(ホラリー)」の読み方を、そのまま出生占星術に置き換えたものだ。もともと占星術は、ごく一部の、大変高等な教育を受けてきた貴族の子弟、それらの人々と交わりがあった聖職者、探求者たちの間でほそぼそと研究されていただけのものである。それが一気に世に解き放たれたのは、1875年の神智学協会発足、その前後あたりなのである。1901年生まれのReinholdだから、まだ大衆が「占星術」というものを知るようになってわずか26年かそこらの誕生だ。

 その19世紀末から20世紀の始まりにおいて、現在の我々が「占星術の基礎とはだいたいこんなところです」といって、占星術入門系の本や、SNSのいかがわしい占星術サイトで目にし、初心者がそれをそのまま暗記して、使い方もわからず真似っこ情報ミームとして使用しているたくさんの占星術ルールは、すでに出来上がっていた。Reinholdももちろん、我々が読んでいる気軽な入門書ライターが、スタンプを押したように、同じことばかり描き続けている、いわゆる「占星術の基礎」を学んだ。

 その点では、Reinholdの占星術と、わたしたちの占星術の出発点は同じなのだ。

 当時から、いわゆる「ハードアスペクトは不吉」「よくない」という教えだった。しかしReinholdは、果たして本当にそうなのかと疑問を感じた。そして1941年の自身の逮捕拘留を経て、木星?天王星の衝のとき、期日通りに、突然釈放されたのである。

 以来Reinholdは「ハードアスペクト」のとりこになった。今でもハウス分割法に名前が載っているワルター・コッホ(Walter Koch コッホハウスシステムの開発者)は、Reinholdの研究仲間であったが、コッホもまた多数の事例研究ののち、「アスペクトに強弱はあれど吉か凶かは決められない」という結論に至った。それは本書導入部にも書かれている。

 さて、問題は中世、あるいは古代の占星術家が、いったい「何を考えて」オポジションとか、スクエアとか、トラインを考えたのかである。Reinholdは、そこまでの考察に至っていたのか、至れなかったのか。同じドイツが産んだ偉大な占星術師ヨハネス・ケプラーの仕事をたどれば、もともとこのオポジションとか、スクエアとか、トラインが「音楽」から来ていることは、Reinholdも気づいただろうと思う。コッホ博士もだ。

 しかし確証はない。わたし自身がまだまだ、Ebertin研究の途上であり、語学の壁もあって進展はロバのごとくだが、いつかEbertinがこの「 The combination of stella influences(ドイツ語では“Kombination der Gestirneinflusse” 」を描いたその思想、彼の深い「思い」について、たどり着くことができれば、わたしの占星術の長い旅路も、ある種の終わりを迎えることになるだろう。

 この「ハードアスペクトに着目する」ということをつきつめたのが、繰り返すが、Reinholdとその息子Baldurが開発した、本書英語版317ページ記載の「45°グラフィックエフェメリス」である。

 わたしはこの概要を門馬寛明から手ほどきされたのだった。

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